要旨
理化学研究所(理研)ライフサイエンス技術基盤研究センターゲノム情報解析チームのデレック・デ・リー実習生(研究当時)、ゲノムデータ解析アルゴリズム開発ユニットのミヒル・デ・ホーン ユニットリーダー、トランスクリプトーム研究チームのピエロ・カルニンチ チームリーダー、予防医療・診断技術開発プログラムの林崎良英プログラムディレクターと、ハリー・パーキンス医療研究所のアリスター・フォレスト教授らの国際共同研究グループは、さまざまなヒト細胞で発現するマイクロRNA(miRNA)[1]を網羅的に記載したアトラス(地図)を作成しました。
DNAから転写されたRNAには、タンパク質の情報を含まないノンコーディングRNA(ncRNA)[2]が大量に存在します。miRNAと呼ばれる短い(21~23塩基)ncRNAは、標的となるメッセンジャーRNA(mRNA)に結合して翻訳抑制を行い、遺伝子を抑制的に制御します。miRNAは細胞の分化や個体発生などさまざまな生命現象に関与し、その発現異常はがんをはじめとする疾患と関係することから、多くの研究者がmiRNAの解析に取り組んでいます。miRNAの多彩な機能や疾患との関わりを解明する上で、miRNAの配列などをまとめたデータベースは重要な研究ツールですが、発現パターンや転写を制御するプロモーター[3]まで網羅したデータベースは存在しませんでした。
国際共同研究グループは、FANTOM5プロジェクト[4]で用いたヒトおよびマウスの、100種を超えるさまざまな初代培養細胞[5]に由来するRNAサンプルを利用し、miRNAの配列を詳しく解析しました。そして、既知のmiRNAだけでなく、新たなmiRNA候補の発現パターンやプロモーター配列を多数収録した「miRNA発現アトラス」を作成しました。miRNAは、前駆体であるpri-miRNAがさまざまなプロセスを経て成熟しますが、今回の解析から、miRNAの発現量は主としてpri-miRNAの転写の段階で制御されていることが示されました。また網羅的な発現解析から、特定の細胞種に顕著に発現するmiRNAや、特定の細胞種で発現が抑制されているmiRNAの存在が明らかになりました。
miRNA発現アトラスはインターネット上で公開されており、誰でも利用できます。これまで解析されていなかった細胞で発現しているmiRNAや、細胞種特異的に発現・抑制されているmiRNAを検索することが可能になるなど、miRNAの発現制御の解明につながる大きな手がかりとして、今後のmiRNA研究を加速させることが期待できます。
本研究は、国際科学雑誌『Nature Biotechnology』に掲載されるのに先立ち、オンライン版(8月21日付け:日本時間8月22日)に掲載されます。
背景
DNAから転写されるRNAには、タンパク質を作る情報を持った(タンパク質をコードする)メッセンジャーRNA(mRNA)と、タンパク質を作る情報を持たない(タンパク質をコードしない)ノンコーディングRNA(ncRNA)があります。ncRNAのうち長さが21~23塩基のマイクロRNA(miRNA)は、標的となる塩基配列を持つmRNAに結合してmRNAの分解を促進したり、翻訳を阻害する作用を示すことにより、遺伝子機能を抑制して制御する働きがあります。miRNAは、細胞の分化や発生などさまざまな生命現象に関与することが知られています。また、複数のmiRNAががん化を促進または抑制する機能を持つことが報告されており、多くの研究者がmiRNAの発現異常と疾患との関係の解明に取り組んでいます。
miRNAは、まずヘアピン構造[6]を持つ長いRNA(pri-miRNA)として転写されます(図1)。続いて、ヘアピン構造の基部を切断するRNA分解酵素Drosha[7]により、中間産物のpre-miRNAが切り出されます。pre-miRNAはさらにDicer[7]によって切断されて2本鎖のmiRNAとなった後、その片方もしくは両方が成熟miRNAとして機能します。これまでに報告されたmiRNAを集めたデータベース「miRBase注1)」には1,881種のヒトpre-miRNA配列と2,588個の成熟miRNAが収録されています。しかし、miRNAの発現パターンや、pri-miRNAの転写を制御するプロモーター配列まで網羅的に記載したデータベースは存在しませんでした。
注1) Kozomara, A. & Griffiths-Jones, S. miRBase: annotating high confidence miRNAs using deep sequencing data. Nucleic Acids Res 42, D68–D73 (2014).
研究手法と成果
FANTOM5では、ゲノム上の遺伝子制御部位の活性を網羅的に測定するため、ヒトやマウスの、さまざまな細胞からRNAを抽出し、CAGE法[8]により正確な5'末端配列を決定・定量しました(図1)。これにより、そのRNAがゲノムDNA上のどのプロモーターから、どれくらい転写されたかを測定することができます。本研究ではさらに、CAGE解析を行った細胞と同じRNAサンプルに対して、miRNAを含む短いRNA(sRNA)に特化した配列解読(sRNAシーケンス、図1)を行いました。こうして、ヒトの100種以上の初代培養細胞やiPS細胞(人工多能性幹細胞)[9]などで発現するmiRNAについて、CAGEデータとsRNAデータを照らし合わせることが可能となりました。またマウスについても同様の作業を、初代培養細胞を中心に行いました。
得られたsRNA配列をmiRBaseと照会したところ、既知のmiRNAのほとんど(ヒトで98%、マウスで95%)が、今回作製したsRNAライブラリに含まれていました。また、sRNAの配列からmiRNAを予測するソフトウェア(miRDeep2注2))を用いて解析したところ、sRNAライブラリから、ヒトでは6,543個、マウスでは1,444個の新しいmiRNA候補を得ることができました。これらのmiRNA候補のほとんどは発現が低いため、これまでの解析では見落とされていたと考えられます。本研究では、個々のmiRNAがどの細胞でどれだけ発現しているかを定量化しており、発現パターンの類似度でmiRNAを分類するなど詳細な解析が可能です(図2)。
既知のmiRNAの細胞特異的な発現について調べたところ、特定の細胞のみに強く発現するものと、特定の細胞で発現が抑制されているものが存在しました(図3)。一方、新しいmiRNA候補については、特定の細胞に限定して発現するものがほとんどでした。
CAGE法は、Cap(キャップ)と呼ばれるRNAの5'末端に特徴的な構造を利用することで、転写開始点から始まるRNA配列を読み取る方法です。miRNAは複数の段階を経て成熟しますが(図1)、CAGE法で捉えられる最も顕著なシグナルは、pri-miRNAの転写開始点となります。一方、小型魚類ゼブラフィッシュのmiRNAを解析した先行研究から、pre-miRNAの生成時にRNA分解酵素Droshaによって切り出されるpri-miRNAの5'末端配列(pre-miRNA の3'側切断部位)もCAGE法で検出されることが示されていました注3)。
今回、FANTOM5のヒトとマウスを対象にしたCAGE解析でも、Droshaの切断配列が捉えられていることが確認できました。Drosha切断配列が確認できたものは、miRBaseに登録されているpre-miRNAのうち、実際に機能していると推定できる信頼度の高いものに集中していました(図4)。これは、新しいmiRNAの候補配列の検定に、CAGE法によるDrosha切断配列の解析が有効であることを示しています。
さらに、CAGE法で得られたpri-miRNAの転写開始点の情報とゲノム配列の情報を組み合わせ、ヒトでは1,357個、マウスでは804個のpri-miRNAプロモーターを同定しました。これらのプロモーター配列はヒトとマウスで保存されており、転写レベルでの発現制御が種を超えて重要であると推測されました。また、CAGE法で測定されたpri-miRNAの転写量と、sRNA解析で測定した成熟miRNAの発現量は相関していることが分かりました。これらの結果は、miRNAの発現は主としてpri-miRNAの転写で制御されていることを示しています。また、pri-miRNAの転写と成熟miRNAの発現量の相関を利用することで、CAGE解析のみで細胞内のmiRNA量の推定が可能になると考えられます。
miRNAには、異なるゲノム領域から転写されたpri-miRNAが同じ配列を持つ成熟miRNAを産生する場合があり、これらはパラログ(paralogous)miRNAと呼ばれます。miRNA配列からは区別ができないパラログmiRNAの発現も、CAGEデータがあればどちらのpri-miRNAがどれくらい転写されているかを測定できるため、異なる発現制御を受けるパラログmiRNAの解析が容易となります(図5)。
注2)Friedländer, M.R. et al. miRDeep2 accurately identifies known and hundreds of novel miRNA genes in seven animal clades. Nucleic Acids Res. 40, 37–52 (2012).
注3)Nepal, C. et al. Transcriptional, post-transcriptional and chromatin-associated regulation of pri-miRNAs, pre-miRNAs and moRNAs.. Nucleic Acids Res. 44, 3070–3081 (2015).
今後の期待
多数の新しいmiRNA候補配列を含むsRNAライブラリとそれらの発現データ、プロモーター配列を統合した「miRNA発現アトラス」は、インターネットを通じて誰でも自由に利用できます。
miRNA発現アトラス
これまで解析されていなかった細胞で発現しているmiRNAや、細胞種特異的に発現・抑制されているmiRNAを検索することが可能になるなど、miRNAに注目している研究者にとって必須のデータベースとなり、今後のmiRNA研究を加速させることが期待できます。
発表者
理化学研究所
ライフサイエンス技術基盤研究センター 機能性ゲノム解析部門 LSA要素技術研究グループ ゲノム情報解析チーム
実習生(研究当時)
デレック・デ・リー (Derek de Rie)
ライフサイエンス技術基盤研究センター 機能性ゲノム解析部門 LSA要素技術研究グループ ゲノムデータ解析アルゴリズム開発ユニット
ユニットリーダー
ミヒル・デ・ホーン (Michiel J. L. de Hoon)
ライフサイエンス技術基盤研究センター 機能性ゲノム解析部門 LSA要素技術研究グループ トランスクリプトーム研究チーム
チームリーダー
ピエロ・カルニンチ (Piero Carninci)
予防医療・診断技術開発プログラム
プログラムディレクター
林崎 良英 (はやしざき よしひで)
ハリー・パーキンス医療研究所 Systems biology and Genomics
教授 アリスター・フォレスト(Alistair Forrest)
(理研ライフサイエンス技術基盤研究センター機能性ゲノム解析部門
LSA要素技術研究グループ ゲノム情報解析チーム 客員主管研究員)
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